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旅行記 ~ 愛知戦国絵巻 Day2 #7 徹頭徹尾

maoP

2022年9月2日~5日の愛知旅行、第7話です。
旅行に出かける皆さまに向けたメモとしても役立てば幸いです。
拙い文章ですがどうぞお楽しみください…。
※本旅行はマスクや消毒などの感染対策を十分に実施した上で敢行しています。
※執筆日:2022年11月1日

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第7話:徹頭徹尾

清州古城跡公園

戦国時代にそこまで興味がない人にとっては「清州城」というお城は聞き馴染みの薄い城かもしれない。
しかし名古屋市の北に位置する清須市にあるこのお城は、
黎明期の信長の居城であり、信長亡き後秀吉が明確に力を持つことになった「清須会議」の会場ともなった場所である。
そして天下分け目の大戦、関ケ原の戦いでは東軍の後方拠点としても利用された。
戦国の動乱の時代から天下統一後までずっと存在感を放ち続けたといえよう。

清州城の最寄り駅は清州城の北にあるJR清州駅だが、この駅から歩いても1kmちょい、15分少々かかる。
ではその南の枇杷島駅からではどうかというと、こちらは2.5kmあるので清州駅がある以上選択肢にはなりえない。
清州駅
▲清州駅に到着
そんなわけでちょっとめんどくさいところにある清州城だが、
現在建っているのは後世に立て直した、いわゆる模擬天守である。
戦国時代の清州城は川を挟んだ対岸にあったといわれているので、そこは再現されていない。

駅を出て線路に沿う道路に出ると、清州城はこちらの案内が見える。
清州城への道
▲日陰のない道が続く
道は一本道ではないので途中かくかく曲がりながら高速道路の高架の下をくぐったりしていると、
清州古城跡公園入口のピンクの看板が見える。
清州城への道
▲これが見えると清州城はもう少し
看板をくぐると小さな公園のような場所にたどり着く。
これは上述した戦国時代の清州城があった場所に整備された公園なのだ。
清州城跡は、その中心を東海道新幹線と東海道線が突き抜けるように走っているため、完全に分断された形となっている。
北側にあるのがこの清州古城跡公園、南には清州公園がある。
清州古城跡公園
▲清州古城跡公園
線路が近い場所なので、ほぼ常に列車がレールの上を走る際の音が聞こえてくる。

隣の公園では大人たちが笑いながら玉遊びに興じていたり、小さな子供を連れた人たちもいたりと、市民たちの憩いの場になっていた。
そんな公園には、信長を祀る小さな祠を確認することができる。
信長公社
▲信長公社
その隣には、清州城があったことを示す石碑も立てられていた。
清州城跡
▲清州城跡
公園自体はとても小さなもので、気にしていないと数分で通り抜けてしまう。
猛暑の中の木陰に少しばかり癒され公園を後にすると、ついに目的地の清州城が見える。

清州の赤い橋と模擬天守

清州城で特徴的なのがこの鮮やかな朱色に塗られた橋。
清州城
清州城
▲五条川にかかる真っ赤な橋
この橋は「大手橋」というが、昔からあったかどうかなどは分からなかった。
というのも、清州城は創建当時の絵図などが残っていないため、当時の規模感などが今一つ不明なのだという。
そして橋の先に見えるのが天守だが、上述した通りこれは模擬天守である。
1989年に建てられたもので、実在した当時を想像して設計されたものだ。
なので当時とは全く違う可能性もあるというわけである。

お城へと入るとまず目に入るのはこの「信長塀」。
清州城 信長塀
▲五条川にかかる真っ赤な橋
桶狭間の戦いで熱田神宮に祈願した結果大勝したので、そのお礼に奉納されたもの・・・をモデルにしたもの。

塀を右手に見つつ進むと、清州の模擬天守が目の前に現れる。
清州城 模擬天守閣
清州城 模擬天守閣
▲清州城ついに見参
お城の前に広がる日本庭園がまたいい風情を醸し出す。
もちろん立ち入ってはいけないので、ぐるっと迂回するように進み、入口を目指す。
清州城 模擬天守閣
▲間近で見るとかなりの迫力
戦国時代から存在しているわけではないので少し価値は落ちるが、
それでも歴史学者たちが「こうではないだろうか」と考え抜いて作られたものだから、当時の雰囲気をなんとなくでも感じることができる。

入り口で検温などを済ませ、靴を脱いでずらっと並んだ下駄箱に投入。
お城の中は博物館のように展示物がいくつかあるが、パネルや衣装などは撮影ダメだった(はずなので手元に写真がない)、悪しからず。
しかし最上階の鯱(しゃちほこ)は触れることができる。
この場所は撮影禁止の札がなかったからか、鯱の写真があったので載せておくことにしよう。
清州城 鯱
▲金色の鯱
名古屋城にあるでっかいやつを1/5くらいにしたようなスケールの鯱。
縁起のいい代物だから、触っておくとなにかいいことがあるかもしれない。

最上階からの眺めはこんなかんじ。
清州城 展望
▲南側を見る
南側を見るとちょうど正面に大きなビル群を見ることができる。
言うまでもなく、名古屋の中心部に違いない。
すぐ隣の線路には貨物列車が西に向けて走っているのを見ることができた。
清州城 展望
▲続けて北側はこんなかんじ
北側は、先ほど渡った真っ赤な大手橋を見下ろす絶好のアングル。
五条川の両側に生える緑の草木、青空、そして赤色の橋の対比。ふむ、なかなか綺麗ではないか。

お城を後にしつつ、いいアングルで清州城を撮れるポイントを探す。
清州城
▲お城はやはり少し遠くから見るのがよき
最後に清州公園に足を延ばすことにしよう。

信長と帰蝶

清州城探訪中に知ったのだが、清州公園には信長と帰蝶の像が建てられているという。
当時は詳しい場所がわからなかったので出る際にお城の人に聞いてみると、
お城を出て左、線路の下をくぐって少し進むと見える公園にあるということだった。
清州公園
▲鉄道の高架橋に貼られた案内
帰蝶は戦国武将、斎藤道三の娘である。
政略結婚で信長の正室になったが、かなり早いうちにその所在がわからなくなってしまった。
そもそもこの娘の名前すら定かではなく、書物によって名前が異なっているというからもうわけわかめ。
基本的には道三が美濃を治めていたため、その美濃の姫ということで「濃姫」と呼ばれることが多い。

線路の下をくぐり清州公園へ。
木々の豊かな公園だが道は広く整備されており、すぐに信長の像らしきものを見つけることができた。
清州公園 信長と帰蝶の像
▲信長と帰蝶の像
この2人の関係性は主要な書物からはほとんど読み取れないが、このように仲睦まじい様子であるならばうれしいものだ。
清州公園 帰蝶の像
▲帰蝶(=濃姫)
清州公園 信長の像
▲織田信長
信長像は1936年に、帰蝶像は1992年に作成された。帰蝶像は最初清州城にあったが、2012年に清州公園に移設されたという。
割と最近だな。

付近には1つの看板と1つの石碑がある。
まずはこの看板。帰蝶の説明と、信長と清州城の説明が書かれた案内板だ。
清州公園
▲信長と帰蝶の説明板
ここにも書いてある通り、帰蝶という人物は謎めいており未だにその実像が全く分からない。
信長という誰もが知る人物の傍に一瞬だけでもいた謎の女性、という事実だけが、ミステリアスさをうまく醸成している。

そして石碑のほうはこちら。
清州公園
▲敦盛の一説が刻まれた石碑
信長が桶狭間の戦いに挑む前に舞った「敦盛」の一節にある、
『人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり』。が刻印されている。
人の世の50年は天界の時間と比較すれば夢幻のように儚いものである・・・という意味。
聞いたことがある人も多いと思われるが、あくまで敦盛の一節であり信長本人の意思による発言ではない点には注意。

清州駅を利用して清州古城跡公園、清州城、そしてこの清州公園と回ると、だいたい1時間半はかかる。
所用時間の目安として参考になれば幸いだ。

第1話:熱田神宮
第2話:岐阜公園
第3話:稲葉山城
第4話:桶狭間戦
第5話:家康所縁
第6話:炎夏岡崎
第7話:徹頭徹尾
第8話:国宝白帝
第9話:有楽斎庭
第10話:犬山城下
第11話:関ケ原・東軍
第12話:関ケ原・西軍
他の旅行記はこちら