旅行記 ~ 愛知戦国絵巻 Day2 #4 桶狭間戦
maoP第4話:桶狭間戦
そもそも桶狭間ってどこだ
日本の戦国史の中でも大きな転換点となった、1560年の「桶狭間の戦い」。
まだまだ力を持っていたとはいいがたい織田信長の尾張に、駿河(現在の主に静岡県)を支配する東海の覇者、今川義元が攻め込んだ戦である。
織田軍は3千程度の兵に対し、今川軍は3万前後という圧倒的な兵力差があった。
▲桶狭間の戦いの主役2名
しかし歴史の授業で習った通り、この戦は織田軍の勝利に終わった。
結果的に今川家は義元が討ち取られ一気に没落するのと対照的に、織田家は一気に戦国の階段を駆け上がっていくことになる。
と、まぁ桶狭間の戦いに至るまでとその結果をざっくり知っている人は多いだろうが、
桶狭間という場所、果たして一体どこにあるのかというのを知っている人は実はあまり多くないのではないだろうか。
実は私もそうで、最近までもっと静岡県側にあるのではないかと思っていた。
しかし桶狭間の戦場跡があるのは、愛知県の東側の豊橋でも岡崎でもなく、なんと名古屋市と豊明市の境目付近にある。
織田は今川にかなり本拠地の近くまで侵攻を許していたということだ。
▲名古屋市の東端付近にある桶狭間古戦場
実際の戦の経過を、信長公記などを参考に改めて追ってみる。
信長は義元に攻め込まれる中清州城で待機していたが、丸根砦、鷲津砦が松平元康(のちの徳川家康)に攻め込まれた報で飛び起き、
『敦盛』を舞った後、わずかな供回りを連れて熱田神宮で戦勝祈願した。(熱田神宮探訪記は1話参照)
その後桶狭間のちょっと北西にある「善照寺砦」で軍を整えて、桶狭間を進む今川義元の軍隊と勝負となった。
実際に当時がどういう天候でどんな戦闘だったか、
ここは書物によっていろいろ違うためここでは詳しく書かないが、経過としてはざっくりこのような具合だ。
▲記念公園としての色が強い桶狭間古戦場公園
しかし諸説あるため遺跡も「桶狭間古戦場公園」と「桶狭間古戦場 伝説地」の2か所にある。
伝説地のほうは中京競馬場駅の近くにある。探したらもっとあるかもしれない。
過去には名古屋市と豊明市で「こっちが本物だー」なんて喧嘩(誇張表現)もしたらしい、わろた。
中京競馬場の近くにあるほうが国指定で歴史的価値は高いが、
今回は銅像が立っている「桶狭間古戦場公園」を優先して訪れることにした。
どちらを訪れても場所自体は「桶狭間」に変わりはない。有名な合戦の聖地に来たという事実は揺るがないというわけだ。
いざ、桶狭間
最寄り駅は名鉄名古屋本線の有松駅。
有松駅は普通列車しか止まらないので、途中まで特急などで移動して、
神宮前や東岡崎といった主要駅、或いは鳴海や前後といった急行が止まる駅で普通列車に乗り換えるのがよい。
▲最寄り駅の有松駅に到着
下車し階段を上がって改札を抜けると、大々的に桶狭間の宣伝をしているようで、大きな観光案内の看板が壁にかかっていた。
確かに日本史の中でも超有名な戦いの1つだから、そりゃ確かに宣伝しないのはただただ損だな。
▲有松へようこその看板
有松駅の周辺は伝統的な街並みが続く場所のようで、
桶狭間以外にも街そのものを紹介する巨大な案内板もある。
▲有松の重要伝統的建造物群保存地区の案内
こちらは江戸時代の建物が中心なので、今回はパスとさせてもらった。悪しからず。
有松駅からは名古屋市交通局のバスで移動。
有松駅の真ん前にはイオンがあるが、その近くにバス停がある。
▲有松のイオンの目の前にあるバス停
基本的に地元の人たちが需要のメインなので平日朝は本数がいっぱいあるが、休日は1時間に1本ペース。
私は早起きして始発の8時10分のバスに乗り込んだ。
私以外の乗客は同じような旅行客の中年男性が1人のみ。休日朝なのでまだみなお休みモードなのだろう。
有松駅から10分ほど、桶狭間古戦場公園バス停で下車。
乗車時は前のドアから乗って220円を支払い、降車時は後ろのドアから下りるという初めてのスタイルを経験した。
Google MAPを見つつ古戦場のほうへ歩いていくと、なるほどそれらしきものがついに見えてきた。
▲バス停から歩いて2~3分ほどで古戦場が見えてきた
住宅街の中にひっそりと佇む公園である。
歴史公園の足跡
1560年から500年弱が経った今も、伝説の戦として語り継がれる桶狭間の戦い。
外観こそただの公園だが、実際に足を踏み入れてみると雰囲気はそこらの公園とは全く違う。
案内板などもじっくり見たいところだが、まず目に入るのはこれ。
▲日本史を彩る2人の巨頭
若かりし頃の織田信長、そして東海の覇者で海道一の弓取りといわれた今川義元公の像。
どう考えても今川義元が勝つ、誰もがそう確信していた戦に違いない。
実際に義元と対峙し討ち取ったのは織田家臣の毛利新介だが、まぁ大名が2人並ぶというのは一種のファンサービスというものだ。
公園にはそれ以外にもいろいろなものがある。
まずはこちら、今川義元の戦死地と伝わる場所に碑が立っている。
▲今川義元戦地之地という表記
そして小さくもしっかりあしらわれた今川義元のお墓。
今も管理している人がいるのか、花がたむけられ、ペットボトルに半分ほど入った水が供えられていた。
▲義元公の小さなお墓
お墓の隣には、義元所縁の「ねずの木」もある。
知る人ぞ知るエピソードだが、着陣した義元が泉で水をくむために馬をつないだ木といわれており、触れると熱病にかかるなんて物騒な言い伝えもある。
▲ねずの木とその紹介板
上述からも分かるがこの公園は本当に整備が行き届いた公園で、桶狭間の戦いを知るための案内板なども充実している。
決戦前後の各軍の動きや、各砦がどこにあったのかなどがカラーの地図で明確に分かるようになっている。
▲桶狭間の戦い案内板
今のように家の建つ前の桶狭間を残した写真も展示されていた。
▲昭和初期の桶狭間山の紹介
公園の一角には、江戸時代の詩人の石碑も。
▲大田錦城が訪れ、歌を残した
この場所に実際に足跡を残し、戦火の中散った者たちに対して感慨にふけるのはいつの時代も同じなのだ。
本当は善照寺砦も訪れて、実際の信長と同じような行動をとってみたかったが、ちょっと時間がなかったので断念。
あぁ、あとは伝説地のほうも訪れたら追記しようと思う、いつになるかわからんが。
▲最後はバスで再び有松駅に戻った
これは余談だが、有松駅に戻る際は終点の1個手前の踏切付近にあるバス停で下りるほうが早い。
終点に向かう際、バスはぐるーっとイオンの外側を回ってから終点のバス停で客を下ろすためだ。