旅行記 ~ 愛知戦国絵巻 Day4 #11 関ケ原・東軍
maoP第11話:関ケ原・東軍
関ケ原に、いざ
1600年に勃発した、天下分け目の大戦・・・関ケ原の戦い。
そもそも関ケ原とはどこじゃ、というと、岐阜県の一番西側に滋賀県と隣接する関ケ原町があるが、そこが戦場となった。
現代でいえば、東海道新幹線が雪のために遅延したりする原因となる難所としても知られている。
そんな関ケ原に公共交通機関を使っていく場合は、単に東海道本線を使い関ケ原駅で降りればよい。
▲東海道本線の列車
▲関ケ原駅に到着
関ケ原駅の駅舎は普遍的な、特に古戦場が意識されたものではない。
▲関ケ原駅駅舎
関ケ原駅が位置する大垣駅と米原駅の間はちょうど本数が30分に1本と少なくなる区間なので、時間には注意。
駅にはJR東海がおすすめする、徒歩での散策するルートが紹介されている。
▲関ケ原の古戦場散策ルートの一つ
今回の旅も概ねこれに沿ったものにはなるが、歩いて散策すると飛行機に間に合わないため、今回は自転車を借りる。
駅前にすぐ関ケ原の観光案内所があり、1210円で電動自転車を借りることができるのだ。(勿論普通の自転車もある)
貸出票に必要事項を書き出し、自転車を持ってきてもらう。
▲早速自転車を借りた
自転車の台数には限りがあるので、休日に訪れる場合は予約しておくとよい。
なお11月から3月の間は雪のため休みな点には要注意。
行くぜ、関ケ原ッ!
家康VS三成の看板を左手に見て、緩やかな勾配の橋を登って線路を飛び越える。
▲現代でも三成VS家康は継続中か
この11話では東軍の陣地跡などを中心にお届けする、西軍は12話を参照。
ちなみに全体のルートとしては以下のような形。交流館でもらった地図に基づいて探訪する。
▲今回の関ケ原の探訪ルート
ちなみに今回は毛利輝元・吉川広家、そして小早川秀秋の陣地は訪れない。
理由は単純で、なぜならめちゃくちゃ遠いからである。悪しからず。
東軍の陣地をめぐる前半戦 ~井伊・徳川・細川~
橋を渡って一番先に見えるのは「東首塚」。いきなり弔いの場所である。
▲東首塚の入り口
首塚そのものはもう少し奥まったところにひっそりと建立されている。
▲東首塚
東首塚は関ケ原合戦により戦死した者たちを弔うために造られた聖なる場所である。
東があるということは西もあるが、西のほうはちょっと見つけられなかった。
そんな首塚のすぐ近くに、家康の家臣団最強とも伝わる、四天王の1人井伊直政の陣地跡がある。
▲松平忠吉・井伊直政の陣地跡
井伊直政たちは関ケ原の駅からほど近いこの場所に6000の兵を率いてスタンバイした。
合戦当日は同じ東軍の福島正則が先手を打つはずだったが抜け駆けして先制攻撃、午前8時に戦いの火ぶたが切って落とされる。
まさに関ケ原の地において最初に訪れるにふさわしい場所といってもよいだろう。
北西方向に自転車を漕ぎ見えてきたのは、大将徳川家康が最後に陣地を張っていたとされる場所。
▲徳川家康最後陣地
すぐ隣には関ケ原古戦場記念館があり、陣地跡は広々とした更地になっているのでとても分かりやすい。
陣地をあちこち見て回るのが難しい場合でも、家康の陣地だけはぶらっと訪れてみてもよいか。
家康の陣地跡を後にして90度交差点を曲がり住宅街の中へ。
次の目的地は光秀の娘の1人、細川ガラシャの嫁ぎ先である細川忠興の陣である。
▲細川忠興の陣地跡
三成は先だって大坂にいる武将の親族たちを人質にとったが、その中には忠興の妻であるガラシャも含まれていた。
しかしガラシャは人質を拒否し絶命、父も西軍に包囲されるという、それは確かに三成の敵になるわみたいな事情が忠興にはてんこ盛りだったのだ。
そんな忠興の軍は果敢に三成の陣地に攻めかかり、多くの殊勲を挙げたという。
関ケ原決戦地
忠興の陣の近くのローソンで飲み物を補充し、幹線道路を挟んだ北側に広がる森を経由して決戦地へ向かう。
▲不安になるロードっぷり
▲おそらく八幡池
道中かなりの砂利道になったりと本当にこっちで正しいのか不安になるも、とりあえずそのまま突き進む。
池のまわりをぐるっと回るように進み、しばらくすると道路の高架下をくぐる場所が現れた。
地図上でも高架下をくぐる、みたいなことが書いてあったのでこれで間違いないことを確信し、田園に向かって自転車を再び漕ぎ出す。
▲周辺はひなびた光景が広がる
忠興の陣からおよそ30分、ついに関ケ原合戦の決戦場といわれる場所に到着した。
▲決戦場に到着
▲大きな石碑が目を引く
周囲は本当に田畑が広がるのどかな田園地帯、といった雰囲気で、400年前にここで大戦が起こったことなぞ全く感じさせない。
私のほかにも数人が同じように自転車で陣地跡を周遊しているようで、
石碑の近くにはカメラを構えて写真を撮影している人がいた。今となってはただの観光名所同然だ。
ここから先はしばらく西軍の陣地跡をめぐることになる。
本話では東軍に絞ってお届けするため、ワープして後半戦といこう。
東軍の陣地をめぐる後半戦 ~福島・藤堂・本多~
西軍の陣地跡を巡った後体力的にもなかなかきつくなってくる頃合い。
ラストスパートといったところで、東軍の武将たちの陣地跡を再びちらほら訪ねる。
(決戦場から福島正則の陣地跡探訪の時間が1時間半空いていることから察して頂ければ。。。)
まずは豊臣恩顧の武将の1人、福島正則。
▲福島正則陣地跡
陣地跡は観光用の駐車場となっているが、周囲は完全に閑静な住宅街のそれ。
付近には樹齢800年、関ケ原合戦の屏風にも書かれた大杉が、小さなお堂とともに立っている。
▲歴史をたくさん見てきた大杉
続いては藤堂高虎の陣地跡。
しかしこの陣地跡はとても注意が必要で、なぜなら中学校の敷地内に陣地跡があるのである。
▲中学校の中にある藤堂高虎陣地跡
校門のすぐ隣にあり、一応『陣地跡はこちら』みたいな表記があるため分かりやすくはなっているが、
場所が場所ゆえ、怪しい動きなどしようものなら通報されるので、陣地跡を確認したらそそくさと立ち去るべし。
ちなみに藤堂高虎は、裏切りに加担した脇坂安治を調略しており、その功績ゆえ家康から大きな信頼を勝ち取っている。
東軍最後に紹介するのは本多忠勝。
こやつの陣地跡も大変おかしなところにあり、なんと住宅の裏にひっそりと佇んでいるのである。
▲住宅と住宅の間に陣地跡
いやいや、これはさすがに不法侵入っぽくてためらうぜ・・・
▲本多忠勝陣地跡
全ての東軍の武将の陣地跡を尋ねられたわけではないが、有力な武将のところは一通り回ることができた。
続けて西軍を12話でお届けするとしよう。