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ブログ ~ 飯田線の旅Day5 #12 豊川稲荷

maoP

2021年7月31日~8月4日の飯田線の旅の5日目、第12話です。
旅行に出かける皆さまに向けたメモとしても役立てば幸いです。
拙い文章ですがどうぞお楽しみください…。
※執筆日:2021年8月19日

※第1話はこちら
※前話はこちら
※各話にはPCでは左のサイドメニューから、スマホでは最後部のメニューからも飛べます

第12話:豊川稲荷

あらすじ

最終日最後の目的地、豊川に到着した我。
近くの鰻屋さんでなまら美味のランチを平らげ、圧倒的幸福感に包まれるまま豊川稲荷へ向かう。
豊川稲荷は有名なお寺であり、そしてお墓でもあるのだ。
そのため祈祷だけでなく供養の催しも開かれている、実に霊験あらたかな場所である。
※公式サイトはこちら

豊川稲荷 ~入口付近~

豊川稲荷であるが、
めちゃめちゃでかい。 正直何から観たらいいかわからないくらい、広々としている。
私の参拝ルートが参考になるかわからないし恐らく取りこぼしもしているだろうけれども、
まぁ読者が訪れる際に1つ参考になるのならば幸甚である。

まずは入口に神々しくそびえたつのが「総門」。
現存しているものは明治時代に建て替えられたもの。
▲「総門」
そして入って右手に現れるのが「鎮守堂」。
詳しい説明が手前の看板に書かれている。
▲「鎮守堂」
入って真ん前に現れるのは「鐘楼堂」。
本殿の完成を記念して、昭和12年に浜松市太々講から寄贈されたものだそうだ。
▲「鐘楼堂」
左手に見えるのは巨大かつ真っ白なのが特徴的な鳥居。
そして奥に見える建物は「寺宝館」。
この建物の紹介が公式サイトにはなかったのだが、字を見るにお寺の重要な宝物が眠っていると想像する。
▲鳥居と「寺宝館」
鳥居から見えるのが本殿だが、参道が結構長め。100mくらいはありそう。
日陰になるものが全くないので、日傘などがあると重宝するだろう。
▲遠くに本殿
本殿までの道中、右手には清めの水(「漱水舎」)がある。
備え付けられている筒は比較的新しいものであった。あとはお察しの通り。
▲「漱水舎」の水
更にその奥に見える木造っぽい建物が「最祥殿」。
御祈祷受付がある通り、祈祷の場になっている模様。
信者様を千人単位で接待できるようになっているらしい。規模がすごい。
▲「最祥殿」

豊川稲荷 ~本殿付近~

長い参道をあっちに行ったりこっちに行ったりしながら本殿へと近づく。
本殿の前は緩やかな階段となっている、急ではないので足腰が強くなくても問題ないだろう。
そして階段近くや本殿近くには熱中症対策としてか水しぶきのあがる巨大な扇風機が置かれていた。
▲本殿への道
階段を登り切るとついに目の前に本殿が現れる。
その名も「豊川稲荷大本殿」、豐川吒枳尼眞天が祀られているのだ。
手前には稲荷らしく狐の像がある。雰囲気抜群。
賽銭箱まではいくらか階段を上がることになる、上がっていいものか不安だったが特に何も言われなかったので大丈夫そう。
▲「豊川稲荷大本殿」
▲狐の像
私は詳しいお作法はさっぱりで神様には申し訳ないのであるが、
とりあえずデレマスの道明寺歌鈴ちゃんのソロ曲にちなんて「二礼二拍手びしっと一礼」でお参り。
本殿からは右手側に道が続いており、「奥の院」の方面に入ることができる。

豊川稲荷 ~奥の院~

階段を下り、本殿と恐らく最祥殿を結ぶであろう回廊の下を通ると、たくさんの幟が立つ道が唐突に現れる。
その名も「千本幟」(のぼり)。
全国の信者からの奉納物であるので、1本1本にどこそこのだれそれみたいな名前が記されている。
神聖な場所たらしめる様は実に壮観であるな。
▲たくさんの幟が立ち並ぶ「千本幟」
さて奥の方の建物もさくさくと紹介していこう。
ただ、訪問当時はいくつか工事をしている場所があり、それがどこにあたるのかはわからないが
いくらか公式サイトに載っているものの手元には残っていない建物がある。悪しからず。

こちらが「万堂」。公式サイトの言葉はちょっと難しくてよくわからんかったが、
とりあえず供養する霊堂であるらしい。豊臣秀吉とも所縁があるようだ。
▲「万堂」
こちらが「弘法堂」。
▲「弘法堂」
遠くに見える真っ白の建物が「大黒堂」。土蔵造りのお堂。
▲「大黒堂」
そして「奥の院」。元々本殿の拝殿だったもので、1814年にここに移築されたそう。
春と秋の祭典ではここを中心に行事が行われるという。
奥の院の前には立派な松の木?か何かが植えられている。
遠くから撮ると完全に木に遮られてしまうのである程度近づくとよい。 ▲「奥の院」
▲仏壇も綺麗に整えられている。
奥の院の真ん前に立っているのが「景雲門」という門。
本殿からくると通り道からは外れるのだが、一応参道の中間地点に立つ、という位置づけ。
▲「景雲門」
そして景雲門のさらに奥…という表現が正しいかはわからないが、本殿と景雲門の中間地点にあるのが「三重の塔」。
古代日本を象徴するかのような建築様式、小さくても見とれてしまうな。
▲「三重の塔」

豊川稲荷 ~霊狐塚~

さて豊川稲荷といえばこれを紹介しないといけないであろう。
そう、「霊狐塚」(れいこづか)である。
先程の千本幟のような幟の間に狐の像が等間隔で並べられる。
▲「霊狐塚」への道
木陰に入ることもあってか、今度はなんとも怪しげな空気が漂ってくる。
突然霧がかかり、狐の親子が目の前に現れそうな…そんな冷たくも妖艶な雰囲気だ。
▲狐の像再び
▲道を曲がると…
▲目の前に現れる「霊狐塚」
奥の院から歩いて数分、「霊狐塚」が現れる。
鳥居や社、参道は本殿周辺のそれと比べると非常に小さなものであるが、立派な立ち振る舞いだ。

そしてここで特筆すべきは狐の像の数。
左を見れば、

大量の狐。 右を見れば、

大量の狐。 大小様々、まさにおびただしいという表現が似合うような像の数である。
周りにはぽつぽつと観光客がおり、そのおかげである程度怖さも軽減されたのだが、
これを1人で、ましてや夕暮れ時なんかに訪れたときにはなかなか鳥肌が立ちそうなものである。
本殿と同じくびしっと一礼して、霊狐塚を後にする。

鯉と恋

主な建造物の紹介はこれでおしまい。
あとは三重の塔から回廊の下をくぐって抜けられる場所に「恋みくじ」なるものがあるのでそれをさくっと紹介。
▲恋みくじ
200円で恋みくじを引けるが、鯉の餌がついてきて、近くの鯉に餌やりができるのだ。
なるほど、「こい」つながり。洒落たものである。私は嫌いじゃないよ、そういうの。

私自身、鯉に餌やりというのは結構あちこちでやってきていて。
例えば津和野の街には道路の脇の水路に大量の鯉が泳いでいる。
近くの商店なんかに餌が売ってあって、鯉に餌を与えることができるのだ。


鯉の餌やりというのはなぜだか知らないが好きだ。
たくさんの鯉が私のところに群がってきて餌をくれとせがむ様子が、優越感を与えるのだろう。
本当にそういう気持ちで餌をやっているかといえばそうではないと思うのだが、
少なくともこれを書いた時点ではそういう思いしか出てこなかったので恐らく最も本心に近かろう。
ふぅむ、なんとも悲しい大人である。
ちなみに鯉みk、、じゃなかった。恋みくじの結果は末吉
まぁわたしゃ死ぬまで独り身であろう、それもまた一興よ。

▲ありがとう、豊川稲荷。楽しかったよ

第1話:中山道を往く
第2話:大雨の木曽路
第3話:下の春と秋
第4話:眼前に広がるは
第5話:ソースカツ丼の誘惑
第6話:三河川合の失敗
第7話:長篠
第8話:湯谷の町
第9話:静寂の秘境駅
第10話:突き抜ける、飛行機雲
第11話:いなり、うなぎ、一期一会
第12話:豊川稲荷
第13話:飯田線回顧録
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