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ブログ ~ 飯田線の旅Day3 #7 長篠

maoP

2021年7月31日~8月4日の飯田線の旅の3日目、第7話です。
旅行に出かける皆さまに向けたメモとしても役立てば幸いです。
拙い文章ですがどうぞお楽しみください…。
※執筆日:2021年8月14日

※第1話はこちら
※前話はこちら
※各話にはPCでは左のサイドメニューから、スマホでは最後部のメニューからも飛べます

第7話:長篠

あらすじ

三河川合で体力を大きく消耗した我であったが、駅に戻りしばしの休憩時間があったため無事体力を取り戻す。
続いては山をさらに下り、かの有名な激戦地である長篠を目指す。
戦国時代だいすこマンにとっては憧れの場所でもあるかの地で、我は何を思ったか。

伊那路を駆け下りる

三河川合駅を12時05分に出発し、続いては長篠城駅で下車する。
▲もうお馴染みの顔になった
三河川合から長篠城までは30分程度で行くことができ、
長大路線の飯田線の旅の中でも比較的箸休め的な行程なのだ。
そんなわけでやってきた列車に乗り込み、駅員さんに下車駅を連絡し列車は山を駆け下りていく。

さすがに眠気があったのか、少しばかり瞼が落ちてしまい、気づいたら長篠城駅の一つ手前である本長篠駅が迫っていた。
何を思ったか、いや単純に寝ぼけた頭だと「長篠」の名がついていることから下車駅だと判断してしまったのだろう、
本長篠のアナウンスが流れて私は思わず荷物を纏めドア前に立ってしまったが、
予め下車駅を伝えてあった車掌さんに
「長篠城駅じゃないですよ~(意訳」
まじであぶなかった。。。
▲長篠城駅

長篠食堂

見事に時刻は御昼どき。
太陽の照り付けが非常に痛く、湿度も高いためか非常に体に熱波がまとわりつくようである。
そして丁度お腹も空いてくる頃合いである。
「腹が減っては戦はできぬっ!」 場所も相まってまさにふさわしい言葉であるな!
長篠城駅から長篠城までは歩いて10分程度の道のり、さっさと城跡に向かってもよかったが、
私は少しわき道にそれ、城跡にほど近い場所にある「長篠食堂」に向かうことにした。
▲長篠食堂

食堂の混雑っぷりはすごいものであった。
平日月曜日であることからおそらくあたりのビジネスマンたちが・・・いや、そんな立地ではないのだが。
席につき、まつこと15~20分程度だろうか、注文した定食がやってきた。その名も「焼き魚定食」であるっ。
▲料理の写真撮るの下手すぎ問題
その時はちょうど東京五輪の真っ最中で、日本サッカーの快進撃の報道がなされていた。
平和なニュースというのはやはりお昼下がりの長閑な食堂にはよく似合うものだ。
後から後から客も来店してくるから、急ぎすぎずそれなりに急いで私は定食を平らげ、食堂を後にする。
さて、次はお待ちかね長篠城だァ!

長篠城跡

先に長篠の戦いについてさくっとおさらいしておくことにしよう。
時は戦国、1575年。織田信長全盛期である。
この長篠の地は交通の要衝として、戦国時代初期から今川、武田などあたりの大名たちが取り合う地になっていたのだけれど、
合戦当時は徳川が長篠城を取っており、奥平氏を入れていた。
武田信玄は既に死んだ1575年、長篠城を信玄の四男・武田勝頼が攻め、これが長篠の戦いの始まりとなる。
結果は知っての通り歴史で習うように、武田の精鋭騎馬隊は織田徳川軍の大量の馬防柵と鉄砲隊に蹂躙されぼこぼこにされるのだけれども。
武田軍の猛将たちは数多く散って武田家は大きく戦力も名声も落とすが、武田はまだ滅んではいない。
勝頼が討たれるのは1582年の甲州征伐になるのでもう少し先のお話。

その激戦の火ぶたが切って落とされる原因になった長篠城は現代には残念ながら存在しておらず、
代わりに城跡と資料館が市によって整備されている。
▲長篠城址史跡保存館
資料館の近くには当時の陣配置の図がでかでかと掲げられているのだが、
いやぁ、素晴らしいな! こういう資料は非常に面白く、戦国マニアにとっては数分は足を止めてひたすら眺めてしまうものである。

資料館の内部はこんな感じ。(写真禁止とは書かれていなかったはずなので載せています、問題あったら教えて下さい)

長篠の戦いに至る状況や戦況、陣の配置、当時の合戦に使われた用具などが細かに展示されていて、見ごたえあり。
これは戦国マニアじゃない人も知見を深めるために訪れても価値がある、と思う。
▲鉄砲の展示
料金は220円、この分量で220円、素晴らしい。非常に納得でした。
※長篠城址史跡保存館の公式サイトはこちら

そして外に繰り出し、広場となった城跡を散策してみる。
▲目の前の広場が本丸跡地
左手には(おそらく)土塁があり、登れるようになっている。
▲記念碑
公園の奥は柵があり、武田勢の砦があったであろう山々を見渡すことができるようになっている。

本丸西側(入って右手側)には、鳥居強右衛門の磔が行われたことを示す案内板が立っている。

この人物は長篠城の窮地を岡崎城にいる信長や家康に知らせ、無事知らせることには成功したものの、
帰りに武田軍に見つかり磔にされてしまった武士である。
結果的にこのあと信長軍は設楽原の地に陣を敷き長篠の戦いを制したのでこの武士の武功というのは実に計り知れない。

馬場信房の墓

最後に武田軍のスーパー武将である馬場信房の墓を見に行くことにする。
どうやらこの近くにあるようなので、まだ列車まで時間もあることだし、ということだ。

長篠城周辺のマップはこのようになっているのだが、
馬場信房の墓へはご丁寧に道案内の看板が各所に立っている。いやぁこれは便利だぁと思ったのだが、その通りに進むと

このようになんだか危なっかしい道を通ることになる。
なのでここは地図の通り国道151号に出て、うなぎ屋さんを左手に見て進み、左に曲がった方が安全にたどり着ける。どうぞ参考に。
▲馬場信房の墓
馬場信房の墓は非常に丁寧にこさえられていた。
一礼して墓に近づき、再び礼をして霊に祈りを捧げる。
あたりの草原を風が駆け抜ける中、激動の戦国時代に散った1つの命の息吹を感じられた気がした。

第1話:中山道を往く
第2話:大雨の木曽路
第3話:下の春と秋
第4話:眼前に広がるは
第5話:ソースカツ丼の誘惑
第6話:三河川合の失敗
第7話:長篠
第8話:湯谷の町
第9話:静寂の秘境駅
第10話:突き抜ける、飛行機雲
第11話:いなり、うなぎ、一期一会
第12話:豊川稲荷
第13話:飯田線回顧録
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