ブログ ~ 山形旅行記・瀬見温泉/鳴子温泉Day2 #4 水墨画の世界
maoP第4話:水墨画の世界
義経の跡
瀬見温泉はいわゆる義経ゆかりの伝説の地の1つとされている。
瀬見温泉街にはその痕跡と伝来が各所に残されており、
伝説を少しばかり覗いてみることができる。今回はその一端をご紹介してみたい。
ちなみに旅館などでは瀬見温泉観光案内用のパンフレットが置かれている。併せて参照頂きたい。
まずは「湯前神社」。
▲義経通りから見る湯前神社
雪に閉ざされて真正面から見ることがちょっと難しかったが、
写真左下に本来観光用に使われるであろう顔出し看板が安置されているのが見える。
近くには飲泉スペースがあり、瀬見温泉のお湯をたしなむこともできる。
▲飲泉
そんな湯前神社の近くにはこの地の伝説について記された看板と、この付近のマップを示した看板がある。
▲伝来看板
▲マップが記された看板
伝承によれば、源頼朝から逃れる際、義経の連れである北の方が産気づき、観音堂にて休ませることに。
その間に弁慶が沢を降りて川辺の大岩を薙刀で突き破ったところ、温泉が湧き出たという。
この温泉を産湯として用いてしばらく養生、回復した後平泉へ向かったのだとか。
今ちょうど大河ドラマでこの時代あたりをやっているので、もしかしたら紹介されるシーンがあるかもしれない。
その弁慶が見つけたお湯「薬研湯」(やげんのゆ)もあるにはあるのだが、冬の間は
▲薬研湯へは降りられず。。。
こんな感じで雪に閉ざされ近づくことができない。
これは春以降に訪れるべきですな、残念。(観音堂も同様)
瀬見温泉街から駅の方へ向かう途中には、小国川にかかる「義経大橋」がある。
渡る途中では、小国川の豪快な流れが耳を刺す。
▲義経大橋、義経の像がある
ここでの義経像での義経は、1本の笛を携えている。
Wikiを見ても分からなかったのでもう少し深く調べてみたところ、
牛若丸時代から愛用していたという「薄墨の笛」であるようだ。違ったら申し訳ねぇ。
瀬見温泉を横断する国道47号周辺の住宅のシャッターには、
義経ゆかりの地であることをアピールするかのように、目立つ緑色のステッカーが貼られていた。
▲シャッターに貼られるステッカー
小国川と瀬見温泉
義経の伝説を瀬見温泉で追っていると目に入るのが、小国川と瀬見温泉街のシックなコラボ。
▲瀬見温泉街
瀬見温泉街の義経通りを西に歩いた後北に進路を変えると「瀬見大橋」が見えてくる。
そこから見える景色はまさに
▲下流方面
▲上流方面を温泉街と共に
水墨画の世界
という表現がぴったりあうような、現代の彩り溢れた日常とはかけ離れた世界が広がる。
緑の葉が落ちて色を失った山々。
真っ白な雪に埋もれた建物たち。
周囲のに溶け込み轟音で流れ下る小国川。
そんな中、赤色の橋がいいアクセントになっているのもまたいい。
対岸に渡り、降り積もった雪壁の合間から再び瀬見温泉街を眺め見る。
▲瀬見温泉街を遠くから見る
色を失った景色がここまで美しく見えるのも、
温泉街という特殊な場所が魅せる、趣のある雰囲気が故、かもしれない。l
・・・打って変わって雪に対して恨みつらみを書くと、
瀬見温泉街にはまだまだ見どころがあるし義経ゆかりの地もいっぱいあるのだが、
ほとんど全てが雪に埋もれてしまって、正直観光どころではない。
雪を楽しむためにこの時期にきてもいいが、この時期は鮎など川魚も取れないので、
それを楽しむためにもやはり冬以外の別の季節にもう一度くるのがよいだろう。
そんな見るところが埋没した状況下でなんとか1時間以上の時間を潰し、
▲新庄行の列車に乗る
10時50分発の新庄行の列車に乗り込み、新庄駅を目指す。
ちなみに駅から見える景色が一番水墨画っぽかったので併せて載せておこう。
▲瀬見温泉駅からの景色